戦争を経験した旧軍の将校は激戦の状況を淡々と語る

戦争を経験した旧軍の将校は激戦の状況を淡々と語る

 

 

海軍航空隊幹部の集まり

 

自衛官の採用と就職援護を行う自衛隊地方協力本部勤務の時、毎年海軍航空隊の将校の会合に招待して頂きました。講演の後、懇親会になり、日本酒が出てくると激戦地での戦闘の話へ進みます。自然に元将校の皆さんの背筋がピシッとなります。

会に参加している人は、激戦を生きのびてきた方ばかりです。「生きのびることができた要因は何ですか?」と質問すると、少し考えた後に意外な答えが返ってきました。

「運が良かったことに尽きます。生きのびることが人生の中でプログラムされているとしか考えられません」

どういうことですかと問いかけると、「所属している部隊から他の部隊へ2日後異動を命じられ、ゼロ戦とともに移動をしたことがあります。数日後、元所属していた部隊は作戦行動で全滅しました」

更に、「飛行機の突然の故障で自分は急きょ出撃できなくなったことがありました。この作戦に参加した自分の所属する飛行機はほとんど帰ってこないことがありました。このような経験が何回かあります。やはり自分は運がいいとしか考えられないのです」と説明して下さりました。

「艦砲射撃や性能の高い米軍機の攻撃をかいくぐる方法はありますか?」と質問すると淡々とした感じで答えが返ってきました。

「一見危ないように思えますが、駆逐艦や巡洋艦と艦の間を並行して水面ギリギリで通過すると撃たれません」
続けて、「私達を撃つと対面にいる味方の駆逐艦や巡洋艦へ弾が当たる可能性があるので射撃ができないのと、艦と艦の間へ米軍機が近寄ろうとすると、米軍の対空火網の間を通らなくてはならないので接近してこないからです」

「この時は、100機近く出撃して2機しか帰ってきませんでした」と話すと、隣から「隊長、イの3号作戦ですね(正確な作戦名は忘れてしまいました)。あの時は隊長と私だけしか帰れませんでした」と元部下の方が激戦の状態とは対照的に淡々とした話しぶりで会話に加わりました。
「あの時は、お前と巡洋艦の真横を敵兵の姿が見えるほど近づいて飛びながら離脱したなぁ」と、また淡々と語ります。

訓練は毎日厳しく、飛行機の性能限界のところで技能を磨いたことを話して頂きました。性能限界の中でゼロ戦を射撃を受ける前に横にスライドして、敵機の後ろを取る技能ができないと生き残れないので、飛行制御を失い地面に激突する訓練事故も絶えない状態だったと遠くを見るように話します。

兵器性能の差がある場合の戦闘は、厳しく辛く悔しい戦闘になります。最前線で戦闘する部下にはいい装備を使える環境を常に作らなければならないと思いました。

 

 

インパール作戦で生き残った糧食担当将校

 

インパール作戦に糧食担当将校として参加した人は、戦闘が順調な時、士気を向上させるためビルマで日本酒造りに挑戦したが、気温が高いため酢になってしまい苦労した話から始まりました。

旧軍の方達は、日本酒が好きなのでビルマでも日本酒が十分確保しようと努力したことがわかります。
また、むこうでは、お祝いや贅沢料理として、猿に酒を飲ませて完全に酔わしてから食べる料理あり、出されたが食べれなくて大変困った話を笑いながらします。

戦況が悪化し、ビルマでのインパール死の行軍といわれる状態になると、まったく補給の途切れた状況でマラリアや感染症と戦いながらジャングルを海岸目指して退却を続けます。
症状でこの状態になると後生きて数日というのがわかり、「あいつはもってあと一日か」と思いながら、動けなくなった仲間を残して動ける者だけが退却を続けていきます。
「海を見るまで自分は死なない」と言い続けながら倒れていく仲間がいっぱいいたと話します。

この時、自分の感情がどのような状態だったかについて何も話しません。

「みんな痩せ細りながら海岸を目指していると、隊の後ろに海を見るまで死なないと異常な執念を燃やしながら死んでいった仲間数人が薄く黒い影のような状態でついてきているのが見えました」と話し始めました。

「自分もおかしくなってしまったのかと思い、薄く黒い影のところを調べに行くとだれもおらず、また歩き始めると同じような距離を取ってついてくるのがわかりました」

「皆に確認すると同じように見えているというので、一緒に連れていくことにしました」と語ります。

歩きながらもうダメかなと思い始めた頃、ジャングルの高台から青い水平線が見え海がもうすぐの所まで来たことがわかり、皆で喜んだそうです。

その時、薄く黒い影が自分達の横を喜びの顔と声を出しながら、両手を上げて海の方へ駆けていく姿を見たと話してくれました。
「不思議な体験でした」と話しながら、80キロあった体重が40キロ以下に落ちたことを教えてくれました。

淡々と話す理由がだんだんわかる感じがします。

この状況に自分の感情を入れたらどのような話になるか、また、話すこと自体が可能なのかと思いました。

いつか文章にして残さなければならないと思い、心にしまっていたものをここで紹介させて頂きました。

 
≪次のブログも参考にしてお楽しみ下さい≫
 
硫黄島の洞窟は今も日本軍の戦ったままの状態
 
皆、人には喋れない体験談を持っている
 
実戦では敵指揮官の性格、今まで行ってきた訓練内容を知らなければならない
 
何が人をして勇敢にその生命を賭けさせるか-人を動かす言葉-
 
勝負は全て勝て -人を動かす言葉、護衛艦艦長の統率方針-
 
歩哨のレベルを見れば強さがわかる
 

 
 

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40連隊に戦闘技術の負けはない: どうすれば強くなれるのか!永田市郎と求めた世界標準
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に登場する隊員たちが訓練を通じ若い隊員が成長していく姿には、若い人達や人材育成に関する多くのヒントがあると思います。

人生・仕事への姿勢について、ミリタリーの人に限らず、多くの人達に読んで頂ければと思います。

読み方は自由に、肩肘張らず、気楽に読んでいただき、志を持ったインストラクターと若い隊員たちの記録を堪能して頂ければ幸いです。

 

 

 

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2 Comments

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