戦争を経験した旧軍の将校や知人が語る実戦の状況

戦争を経験した旧軍の将校や知人が語る実戦の状況

 

 

戦車兵の対空戦闘

 

今から30年以上前は、旧軍の人の戦争経験をよく聞かせて頂く機会がありましたが、70年の月日の経過とともに、貴重な戦争経験談を聞くことができなくなりました。今回、中学生の時に聞いた話や自衛隊時代に話して頂いた貴重な話を紹介致します。

国内に残って本土決戦の準備を進めていた戦車兵が語り始めました。

最新の1式戦車もなく、装甲がペラペラで米軍のM4戦車の砲弾がきれいに貫通して外に飛び出してしまう鉢巻き戦車(砲塔の周りに歩兵が戦車の上に登り摑まることができる手すりがついていて、これが鉢巻きのように見えたため)といわれた旧式の戦車を使用していました。
鉢巻き戦車には対戦車砲が搭載されておらず、対歩兵用の榴弾砲が搭載されていました。「戦車戦用には作られていなかったので米軍の戦車に全く歯が立たない」と言います。
榴弾砲ではM4戦車の装甲を撃ち抜くことができないため、教育ではM4の砲口を狙えば戦車内へ榴弾が届くと教えられていたと笑いながら語ります。

冬の戦車は、寒くてエンジンをかけるにはコツがいるんだと説明します。
冬の夜は、氷点下になるため、何も処置をしていないと全車両が動かなくなるため不寝番を置きます。
不寝番は、エンジン部分のオイルが凍り付いてしまうとエンジンがかからなくなるため、1車両だけ一晩中ロウソクでエンジンを温め続けます。
早朝、オイルが凍らないように一晩中温めていた戦車のエンジンをかけ、他の戦車をエンジンのかかった戦車で引っ張り次々に押しがけをしてエンジンをかけていたと語ります。

車載機関銃は、戦車から外し、空襲を行う米国の航空機との戦闘のため対空機関銃として使用し、空襲警報が鳴ると掩体の中に入り対空機関銃で敵機を迎え撃ちます。

戦闘機の機銃掃射で仲間が負傷したり、死ぬことがあると聞いて、「敵機を落とせたのか」、「戦闘間怖くないのか」と尋ねると予想と異なる答えが返ってきました。

「敵機は一度も落とせなかった。隣の掩体で仲間が機銃掃射を受けやられた時、怖いという感覚は全くなく、落ち着いているのと、よくも戦友をやったな、必ず落としてやるという許せない怒りが強かった」と淡々と語ります。

どうしてこんなに客観的に落ち着いて話ができるのか不思議に思うような感じで話します。

それよりも、対空機関銃として撃った弾が地上に落下してきて当たることの方がなんだか怖かったと話してくれました。

 

 

軍医の訴え「なんでも突撃をしろと教えていません」

 

90歳を過ぎ病院経営も次世代へ引き継ぎを行い引退している人から、医師会の人を通じ自分に伝えたい事があるので会いたいと連絡が入りました。
医師会の人は、年齢的にも外出ができなくなる可能性があるので、早く会える時間を考えてほしいと言われました。

当日、日本的でとても感じのいい店で待っていると、畳の廊下を杖を突きながら入ってきました。立ち上がって礼をすると凛とした感じで答礼して頂きました。

三味線に合わせた日本舞踊や琴の演奏を聴きながら食事を楽しんだ後、当時陸軍中尉だった軍医が口を開きました。

「今でも自衛隊で突撃を教えているのですか?」

砲迫火力と対機甲火力で十分に敵を制圧後、普通科(歩兵)が突入して地域を確保することを教育し、訓練していることを説明すると、「まだ、突撃は残っているのですか」と返ってきました。

「旧軍では、火力を使用した攻撃を教えており、むやみに突っ込むような突撃を教えていません。誤解されています。突撃をすると多くの兵士の命が失われます」続けて、「火力戦を基本として、自衛隊では突撃をさせないでください。これが本日伝えたい内容です」

と話してから杖を突きタクシーで帰られました。医師会の先生から、1週間後亡くなられたという連絡を受けました。

富士トレーニングセンター(FTC)訓練において、早朝、突撃をした段階で攻撃側に大きな損害が出てほとんど全滅となり状況が終了します。突撃に進めという号令を聞くと、元陸軍中尉の言葉が甦ります。

 

 

今でも忘れないグラマンのパイロット

 

目白の親戚の家に遊びに行くと、何かの話題から母と姉が米軍のグラマンに襲われた話になりました。二人とも幼い年齢なのでグラマンから機銃掃射を受けたことが心に強烈に焼き付いている感じです。

焼野原を二人で歩いていると、突然グラマンが近づいてきて自分達を追い回し始めたと言います。
大人は、地上を猛烈な速度で走る機銃掃射ですぐに殺されてしまうが、自分達は子供なのでわざと狙いを外して逃げ惑う二人に機銃掃射をしながら楽しむように逃げる方向を塞がれたと語ります。

機銃掃射の場所が近づき始め、二人で手をつないで逃げていて、もう逃げきれないと転んだ時、すぐ脇を弾が通り過ぎたと話します。
転んだ拍子に、上を向いた時、グラマンに乗っているアメリカ人がニカッと笑い金歯が見えたと言います。その時は怖くて仕方がなかったが、子供を機銃掃射で遊んでいたと思うと悔しくて仕方がないと語気が強まります。

戦闘機との距離が予想以上に近いことがわかります。

 

 

84ミリ無反動砲(カールグスタフ)を持った時の目の光

 

父親は元戦車兵で、テレビや映画で「コンバット」を見ると「バズーカ」が日本軍にあれば米軍をかなり痛い目にあわせることができたと悔しがります。
当時、日本軍には対戦車火器がほとんどなかったからです。

バズーカ(89ミリロケットランチャー)は、アーミング解除距離があることや射程が短いことを話しても、日本軍にあれば戦闘はかなり変わっていたと言います。

今から30年以上前、父親が「今はどんなのがあるのか」と聞くので「84ミリカールグスタフがある」と答えると「どんな性能か」と聞くので、対戦車戦闘も、歩兵戦闘もでき、照明弾や発煙弾も使用できることなどを説明すると「これがあると凄いな」と喜んでくれました。

駐屯地記念行事に家族が来た時、これが84ミリカールグスタフだよと目の前の無反動砲を指さすと、「触ってもいいものか」と聞くので射撃要領を聞いた後、鎖につながれている84ミリカールグスタフを父親が肩に担いで射撃姿勢を取りました。

「これでほとんどの戦車をやっつけることができるんだな」と上機嫌です。

この時の顔というかイメージは、20代の兵士の顔になっていて、これで戦車をやっつけることができると「ニカッ」と不敵な笑いをしたのが印象的でした。

 

 
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40連隊に戦闘技術の負けはない: どうすれば強くなれるのか!永田市郎と求めた世界標準
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読み方は自由に、肩肘張らず、気楽に読んでいただき、志を持ったインストラクターと若い隊員たちの記録を堪能して頂ければ幸いです。

 

 

 

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2 Comments

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