硫黄島の日本の守備隊へ手を振り菓子を投下する奇妙な米軍機の行動と情報戦

硫黄島の日本の守備隊へ手を振り菓子を投下する奇妙な米軍機の行動と情報戦

 

 

米軍上陸間近の硫黄島での出来事

 

硫黄島に自生するテキーラの原料のリュウゼツランの話をしていると、従妹が急に「戦争の時、島に飛んできた米軍機から手を振ってもらい、仲良くなった叔父さんがいる」ことを思い出し、93歳の叔父さんに電話をかけ始めました。電話口から「硫黄島」、「機銃掃射」、「菓子を投下した」と従妹の口から断片的な情報が流れてきます。

「菓子を投下した」というところが妙に引っかかります。それも、何回も続けたという話は、聞いたことがありません。

電話で聞いた従妹の話を聞いてみることにしました。

 

 

何故、すぐに電話をしたのか

 

自分が小学生の時、叔父さんたちが夜寝る前に戦争体験を話してくれたり、防大卒業後、旧軍関係者の方から詳しく聞けた昭和の時代は終わりました。

現時点で、戦争経験者は90歳以上の高齢となり、戦闘の記憶を直接聞く機会はめったにありません。そして、正しく伝えるには厳しい年齢になってきました。

従妹と硫黄島の話をしていると、「従妹の母方の叔父さんも兵隊に出ていた」と話した瞬間、叔父さんは「米軍機から手を振られた」と言っていたことを思い出しました。

手を振られたことを思い出した時、従妹の頭の上にある電球がピカっと光った感じがしました。

従妹は、「おじさんは頭が鮮明で、記憶がしっかりしているので、今聞いておく最後のチャンス」と言い、すぐに電話をかけてくれました。

おじさんは、当初、ぽつりぽつり話している状態でしたが、「だんだん頭の回転が良くなった感じで、どんどん話し始めた」と言います。

「おじさんも話しているうちに、頭が若い時のように動く」と言っていると伝えてくれました。

この光景は、以前経験したことと重なる感じがしました。
それは、栃木で勤務をしている時の話です。
元軍医の方から陸上自衛隊の幹部の人へ伝えたい事があると、医師会の方を通じて紹介され、夕食会でお会いしました。

話したい内容は、突撃についてでした。

2時間程度の懇談会が終了し、ご挨拶をすると、「これで思い残すことはない」と最後別れ際にぽつりと言いました。そして、1週間後亡くなった経験と重なります。

 

 

話を聞く人に知識がないと正しく伝わらない

 

米軍機に手を振ると、米軍のパイロットも手を振った場所は、硫黄島であることがわかりました。リュウゼツランの話から硫黄島の話をしていたので、なんだか偶然ではなく、必然性を感じました。

 

硫黄島

2009/07/10 13:05

花芽の伸びている植物がリュウゼツランです

 

電話が終わり、従妹から話を聞きますが、自分が今まで触れてきた硫黄島戦史からすると、手を振る場面の時期が理解できません。
従妹と家内に硫黄島戦史を簡単に話をすると、おじさんから聞いた「最後の船で硫黄島から本土へ帰った」という内容を聞き、「硫黄島陥落後か、終戦後硫黄島から日本へ向かう最後の引き上げ船を待っていた時に起こったこと」と勘違いしていたことがわかりました。

もう戦争は終わっているので、手を振ってもらったと思っていたようです。

従妹は、私から硫黄島戦史の概要を確認後、質問事項や確認する内容をメモにおこし、再度叔父さんに電話をしました。

従妹が、電話口を押さえ、「叔父さんが若い人のような感じになって話している」と伝えてくれます。

なんと! この手を振る行為は、米軍上陸前に発生したことがわかりました。

 

 

硫黄島での奇妙な出来事

 

叔父さんは、航空機の整備兵でした。硫黄島には、戦闘や米軍の空爆により使用できる日本軍の航空機はもうなくなっている状態です。
航空機の整備兵は、もう硫黄島では必要としないので、本土決戦のために移動することとなります。

米軍の上陸作戦が始まる前に日本へ戻る最後の輸送船を待っている時に、この奇妙な事態が発生しました。

日本へ戻る船が出る2週間前から偵察機はやってきました。

「最初の2日間は、機銃掃射をされたが、退避すれば損害は出ない状況だった。パイロットの顔が確認できた」

パイロットの顔が見える距離なので、かなりの低空であることがわかります。

その偵察に来る戦闘機は、「グラマン」と言いました。
太平洋戦争初期にゼロ戦によって散々痛めつけられたF4Fではなく、性能と防護性が向上したF6F「ヘルキャット」に変わっている時期です。
更に、日本軍の航空機の得意とする小回りのきく戦いをさせない戦法を開発しています。

既に、硫黄島対着上陸作戦の時期は、制空権又は航空優勢は日本軍にはありません。

アトランダムの時間に来るグラマンはなんだか敵意はなさそうなので、「手を振ったら、攻撃をしなくなるのではないか」と直感的に思い、叔父さんは3日目にグラマンへ手を振ってみました。

そうすると、4日目にグラマンのパイロットは、叔父さんが手を振ると、手を振り返し、毎日来るようになりました。
次の日から、叔父さんが手を振ると、お菓子がいっぱい入っている布袋を落としてくれるようになり、船が出る10日間毎日来ていたと話してくれました。

 

 

グラマンF6Fパイロットの狙い

 

私は、このグラマンは、日本軍の陣地がどこにあるのか、偵察していたと考えます。

陣地や整備所、兵士の避難兼休憩所などの施設の位置が一つでも正確に判明すれば、日本軍の陣地配備を何例も細かく分析しているため、全体の配置が予測することができます。

そして、上陸前の艦砲射撃と空爆目標選定の重要な情報となります。

米軍は、最後まで硫黄島の日本軍の配備状況が十分掴めないまま、上陸作戦を実施し、戦史に残る大きな被害を受けることとなります。

定時に飛来するグラマンは、日本軍兵士の所在を毎日確認し、情報部へ送っていたと思われます。
上空から陣地構築をしている作業を見つからないようにしているため、米軍は日本軍の陣地線が、海岸線沿いにあるのか、海岸線の奥に配備しているか判定ができない状態です。

10日以上、日本軍兵士を確認できた情報は、とても貴重となります。

叔父さんは米軍のグラマンに情報収集されていたと考えられます。

一方、硫黄島守備隊の日本軍は、叔父さんの行動をどのように考えていたか考察する必要があります。

実態として強固な規律と団結を持つ硫黄島守備隊司令部は、グラマンの飛来について必ず報告を受けているはずです。通常の軍隊で必ず行う行動です。
司令部、上司から、叔父さんの行動に対して何も指示が出ていないということは、叔父さんの行動を把握できていなかったのか、叔父さんの位置情報をわざと伝えて米軍の見積もりを狂わす目的があったのではないかと考えられます。

叔父さんとパイロットの後ろに控えている日本軍と米軍の情報部と作戦部同士の火花を散らす駆け引きを感じます。

戦史からすると、陣地線は、米軍に解明されませんでした。

もしかしたら、叔父さんの行動は、フェイク情報として日本軍の情報戦に貢献していたのかもしれません。

 

 

叔父さんの思い

 

叔父さんは、今から思えば、日本へ帰る最後の船が、何故だかやられないで、無事に帰れたのは、あのグラマンのパイロットの何かがあったからじゃないかと付け加えました。

それほど、当時、沈められず日本に戻ることが難しく、無事に帰れるとは考えられない戦況でした。
このため、あの日々偵察に来ていたパイロットが自分達を見逃してくれ、帰れたと思ったのかもしれません。

「こんな話があってもいいじゃないですか」と叔父さんの話しは終わりました。

 

 

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