TACMEDA代表理事 照井資規氏からの手紙

TACMEDA代表理事 照井資規氏からの手紙

 

照井資規氏から頂いた手紙

 

照井氏の手紙は、共著『弾丸が変える現代の戦い方: 進化する世界の歩兵装備と自衛隊個人装備の現在』を作成した時に頂きました。引き続き、コンバットメディック編を作成できれば幸甚です。
以下、TACMEDA代表理事 照井資規氏の手紙です。

「人は人に従うものであり、階級や制度に従うものではない」これは、私が陸上自衛隊に2等陸士から入隊し、陸曹を経て幹部になり退職するまでの20年間に最も強く認識したことでした。自衛隊は想像していたほど命令と服従の組織ではないし、これだけ装備がハイテク化する時代でありながら、人の要素、特に感情面が及ぼす影響が大きいという事実を目の当たりにした時は正直なところ、大変意外に思ったものでした。

制度があり命令をしても人は思うようには決して動かないものです。人は心が動いた時に自発的に動くものであって、命に関わる危機に直接関わる組織を統べるためには相応の人物にならなければ、とてもできないことであることを、私は二見様に初めてお会いした時に強く印象づけられました。
二見様は人を統べる理想を体現された方であり、以来、大変尊敬しています。また、私に数々のチャンスを与えて下さった人生の大恩人でもあります。この度、対談する機会を頂き、私は今までに自分が研究してきた全てを表現することに努めました。

二見様と初めてお会いした時、二見様は小倉で第40普通科連隊の連隊長をされていて、私は札幌にある第11師団司令部勤務の3等陸曹、一般幹部候補生試験(部内選抜)に一度めの挑戦をし、不合格になった時でした。
一般幹部候補生試験を受講する際に、自らの意志により職種を変えることができるのですが、普通科(戦闘職種 歩兵に相当)から衛生科へと職種を変えることは過去に例がなく、衛生科幹部候補生の採用枠は普通科に比べて20分の1と狭き門でもあり、「無謀な挑戦」と言われることが多いものでした。また来年も受験に挑戦すべきか迷っていた頃です。

40連隊での訓練を終えて札幌に帰るため、小倉駐屯地を出発する際、連隊本部の幹部から「連隊長からです」と1冊の本を手渡されました。それは、極真空手の創始者である大山 倍達氏が著された「強く生きたい君へ」という本でした。
当時の私に最も必要なことが書かれており、帰りの飛行機の中で夢中になって読みました。あれから14年を経た今も、人生の節目を迎える度に必ず読み返しています。40連隊での訓練中、私は一般幹部候補生試験に不合格になったことは一言も話していないにも関わらず、私にとって今何が必要なものであるかがわかる人でした。

翌年、一般幹部候補生試験に合格し職種も衛生科に変換する夢が叶いました。衛生科幹部として初めて就任した岩手県では、東日本大震災に被災し、発災当日から災害派遣部隊として活動を開始しました。
幸いにして人脈に恵まれまして、陸曹時代まで戦闘職種であった経験を買われ、2012年11月 陸上自衛隊の事業としてアメリカ フロリダ州 にて開催されたTactical Medicine ESSENTIALS Train the Trainer Course (国際標準戦闘救護・初療指導員養成課程)に官費で参加し、指導員の資格を修得することができました。

2013年4月には当時、衛生学校主任教官であった徳野慎一氏と共同で、陸自の第一線救命事業の一環として54ページもの陸上自衛隊初の訓練資料「第一線救護ハンドブック(参考)」を制作、全国の部隊への配布が実現しました。
その後、同ハンドブックを正規の教範にするために、職種学校である陸上自衛隊衛生学校に異動となりましたが、ここで私の自衛隊人生は終焉を迎えることになります。
当然ながら、この正規教範化事業は陸上自衛隊の業務計画の一環であるにも関わらず、当時の陸上自衛隊衛生学校研究部長は当ハンドブックを僅か6ページの、自衛隊員の救命には役立たないものにしてしまいました。

本格的な教科書を作ればそのための教育体制や実技検定試験の整備など事業内容が膨大になる、すなわち仕事が増えることを避けたのです。
陸上自衛隊員の救命のために必要な事業ではないかと私が他部署に相談したならば「人間関係の問題」として総務部に異動となり、先述の主任教官と共に毎日、博物館の倉庫の整理や衛生学校のゴミ捨てと掃除に専念する日々を送ることになりました。
これもまた大事な仕事として取組みましたが、情勢が変わり自衛隊が海外で戦闘を行うことを避けられなくなる日が刻々と迫っていることを肌で感じていた私には焦る気持ちが高まっていきました。

主任教官が退職され、衛生科の改革に取り組んでいた方々も次々に退職となり、最後に残った私もまた、普通科時代から志していた戦場と災害時の救命を発展させる夢をついに叶えられず失意のうちに退職することになりました。
期待をかけて下さった二見様に大変申し訳ないことをしたと、退職後しばらくは会わせる顔がありませんでした。

陸自を退職してから2年と半年を過ぎた頃、お蔵入りとなった「第一線救護ハンドブック(参考)」は「イラストでまなぶ!戦闘外傷救護」として一般書物として刊行され、自衛官のみならず海外でも読まれるようになりました。
1年と経たずに70ページも内容を増やした増補改訂版が刊行され、さらに重版出来となっています。
私が自衛官時代から学び続けていることは、海外で活動する在外邦人に教育する機会も得て、ついには指導資格を修得したアメリカ本部の教科書を作成するまでになり、教育活動は世界15ヶ国に及んでいます。新型感染症の感染拡大防止教育、原子力災害・核テロ対策教育、東京オリンピック・パラリンピックのテロ対策医療教育を通じて、日本国民の救命にも役立てられるようにもなりました。

陸自を退職し海外で活動する中でしばしば感じるようになったことは、日本人の評価が大変高い事でした。これは、それぞれの国で活躍してきた日本人が築き上げてきた歴史がもたらす貴重な財産です。
海外では日本人を通じて「日本国」を見ます。海外での日本人の安全を守り、日本国を大切に思われることもまた、間接的ではありながら日本国の防衛になるとの確信を得られるようになりました。

この度は戦傷における救命教育の両輪をなす、戦傷をもたらす原因となる銃弾について著す機会を頂き大変感謝しています。
続いて救命に関しても対談の機会を頂いているのですが、銃弾も救命も進化が大変速いために文章にするまでに多大な時間を要してしまっていることを申し訳なく思っています。

確かに私は力及ばず、自衛官として夢を叶えることは出来ず、二見様を始め期待をかけて下さった方々のご恩に報いることはできませんでした。
しかしもし、私が退職することで在職し続けた場合よりも大きな結果を出すように努めることで、私が活躍する場所が、自衛隊の中でも日本国内でもなかった、
だだそれだけのことである、と認められることがあれば、この上なく幸甚に思うことでしょう。その日を目指してこれからも努めていきたいと思います。

以上です。

照井氏の益々の御活躍とご発展を祈念致します。

 

 

 

 

 

弾丸が変える現代の戦い方: 進化する世界の歩兵装備と自衛隊個人装備の現在
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二見龍レポート#2 コンバットメディックの照井資規、弾道と弾丸を語る
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