永田市郎氏が陸上自衛隊へ伝えた世界標準

永田市郎氏が陸上自衛隊へ伝えた世界標準

日本全国の部隊が学んだ

 2000年当初、永田市郎氏は、毎年数回来日して、土日の時間を使用して、銃の取り扱い、射撃技術を各部隊のやる気のある本物を追求する陸曹に訓練を行っていました。

 何故、土日や休日かというと、自衛隊以外の部外者から戦闘技術など学ぶことが許されなかったため、幹部が不在の時に訓練を行っていたのです。

 米国における日米共同訓練、イラクへの部隊派遣が始まると、今まで行ってきた訓練内容では対応できないことを心配した陸曹は、部隊を支えるために必要な戦闘員としての訓練を永田氏へ依頼しました。

 永田氏は、手弁当で国内の陸上自衛隊の部隊を回り訓練を実施していました。

 当然、このような態勢に永田氏は、疑問に感じていました。

 訓練環境を作らなければならない幹部に対して、永田氏の訓練の重要性を説明しても受け入れることはなく、不信感を抱き始めていました。

 そのような時に、彼は、小倉へ訓練を指導に来たのです。

 永田氏の訓練は、実戦的であらゆる状況に対応していく柔軟な訓練内容でした。

 これを目にして驚いた私は、彼と話したいと思い、近くへ行こうとするのですが、武術の達人のように間合いを切られて会話ができないように対応されたのです。(永田氏は日本拳法の達人でもありました)

 これが、永田市郎氏との出会いでした。

 その後彼の口から「私の戦闘技術を自衛隊へ伝えることが私の愛国心です」という言葉を聞き、連隊への訓練をお願いすることになります。

 時は過ぎ、戦闘技術は進化をしています。銃についても同じです。

 現役の自衛官が、永田市郎氏が巻いた種、植えた苗木をさらに常に進化させ、世界標準を追求、追い抜いて頂きたいと思います。

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