自衛隊での43歳は私の人生の大きな曲がり角

自衛隊での43歳は私の人生の大きな曲がり角

 43歳の時、1年間の幹部教育が終了し、同期は、激務といわれる職務へ旅立つ時期がきました。

 ほとんどのメンバーは、関東に所在する部隊へ異動することになりました。

 その中で私一人が関門海峡を大きく超え、熊本に所在する第8師団へ勤務することになったのです。

 卒業後、異動する場所を言われた後の休憩時間、同期ですが期では先輩の人たちから、「遠くで勤務できて素晴らしいな」と冷やかされました。

 今迄色々なアドバイスを頂いている先輩へ早速報告へ行くことにしました。

 20代にその人から「お前の小さなプライドなど捨ててしまえばいい」という激しい言葉に怒りを覚えたものでしたが、そこから自分という道を見つけることができた恩人です。

 早速、北熊本へ行くことになりましたと伝えると、「お前は何歳だ」と聞かれたので「43歳です」と答えました。

 何かねぎらいの優しい言葉があるかなとはかない希望を持っていましたが、「東京では同じ階級が多いので普通にやってこれたが、地方へ行くとその階級は少ない」「場合によっては閣下などと言われて奉られる」と始まりました。

 なんだかおかしくなってきたぞと思っていると、「お前みたいな性格の人間は、その言葉に乗せられ、自分は偉いのだ、みんなが頭を下げると職務と階級に礼を尽くしているのを勘違いする」「だんだん軸が狂ってきて、自分の言ったことは正しい、何故理解できないというように横暴になっていく」

 その人格の曲がり方は、ゆったりした直線ではなく、急激に曲がっていくゴルフでいえば、シャンクした状態に近いといいます。

 さらに、大きく曲がってしまった人格はもう元には戻らないとのことでした。

 「特にお前みたいな性格は、そこに陥りやすいから気を付けろ」と何か失礼なことをバンバン言われたなと思いながら、お礼を言って帰りました。家に帰っても、なんだか腹が立ち心のモヤモヤが続きます。

 熊本への旅立ちの日は、すぐに訪れました。熊本空港へ降り、師団司令部での勤務が始まると、風景明媚で食べ物全てが旨く、地域の人が温かく接してくれる土地柄に触れることができ、熊本勤務の良さを味わうことができました。

 演習場への移動をヘリで行う場合、飛行経路上に阿蘇の山々を上空から見える贅沢な風景を見ることができました。

 勤務をしていると、転勤してから関東に戻ってこないなと感じていた20代、30代に尊敬して格好の良い先輩に会うことができました。

 しかし、その先輩たちは、柔軟性があり発想が豊かで一緒にいるだけでも心が揺れていたあの先輩ではありませんでした。

 業務の調整や話をした時、なぜ自分の言うことが聞けないのかというよう感じで、視点が低く、個別最適を求める考えをするので驚いてしまうほどでした。

 このような体験をしてから、このようになっている人は少なくないということがわかってきたのです。

 出発時にアドバイスを頂いた先輩は、このことを言っていたのだということが理解できました。

 確かに、私もこの言葉を聞いていなかったら、自分は偉いのだと勘違いをしてしまい、人格が大きく曲がっていってしまったかもしれません。

 早速アドバイスを頂いた先輩へ電話をかけました。

「どうした」「先輩のいわれた通りでした。先輩のアドバイスが無ければ私は曲がっていたかもしれません」と答えました。

 「それで、おまえはどうするんだ」と問いかけられました。

 40歳以降、本当の人生の勝負が始まること、自己能力の向上に努めなければならないこと、今まで力を付けたことをフル回転させ、自己を向上させながら業務を遂行すること、チャレンジが必要なことを伝えました。

 「そのためには何が大切だ」と問われ、「素直な心と謙虚さです」と答えると、「そうだな」と返ってきました。

 「それでどうするのだ」という問いに、「松下幸之助氏の素直な心を読みます」というと、「相変わらず調子だけはが良いな」というので、「調子ではなく、素直な心ができてきたからです」というと、笑いながら「素直な心、謙虚さは、とても深く自己コントロールが必要である」という言葉を最後に頂きました。

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