荒谷氏との初めて出会いは、特殊部隊など、陸上自衛隊の将来構想を検討する時でした。その後、荒谷氏は多くの困難を乗り越えて、特殊作戦群を新編し、初代特殊作戦群長となり、同時期に私も第40普通科連隊長になりました。
当時、実戦、オペレーション主体という考え方が、まだ陸上自衛隊には根付いていない時期でした。
しかも、特殊作戦を遂行する特殊部隊をレンジャー部隊の強化版と捉えていたり、陸上自衛隊が全く知らないような装備をオンハンドしなければならなかったり、軍事面だけではなく国家の命運を左右する任務を遂行する組織として機能させなければならなかった荒谷氏は、日々陸幕、部隊、装備関係部署とぶつかりながら、部隊を作り上げなければなりませんでした。
そのバイタリティーは、通常の男ではできなかったことです。
同時に、実戦に強く、各種オペレーションを完遂できる部隊の育成を実現したのです。まさしく、荒谷氏は、これからの時代に対応していく陸上自衛隊を先導していく重要な人物でした。
しかし、彼は、特殊作戦群長の任務終了後、突然、陸上自衛隊を去ったのです。ともに同じ志を持つ同志を失うことは、私にとって大きな打撃でした。
一方で、陸上自衛隊での使命を果たした荒谷氏は、他にやり遂げなければならない役割があるのだなと感じました。
荒谷氏とは、機会があれば、『特殊作戦』、『訓練に関する考え方』、『実戦で戦い抜くために必要なこと』、『自衛隊へ望むこと』、『これからの活動』について、話してみたいと考えていました。
その出会いは、いつの間にか15年の歳月が過ぎた2019年の秋に突然訪れました。現在、荒谷氏がお住いの三重県熊野市の『むすびの里』を訪問しました。彼は、歴史と伝統を守る日本人として生きていく道を実践しています。
荒谷氏との対談は、いつもの二見龍レポートの対談というよりは、熱く語り合う時間となりました。そのため、今回の対談内容は、皆様に多くの示唆を提供できるものになったと思います。
二見龍レポート#9『現代のサムライ 荒谷卓 特殊部隊を語る』をお楽しみください。
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