硫黄島の洞窟は今も日本軍の戦ったままの状態

硫黄島の洞窟は今も日本軍の戦ったままの状態

 

 

米軍艦艇の舳先が砂浜から突き出ている海岸

 

入間から航空自衛隊の輸送機C-1に乗って2時間半、キーンという騒音を耳栓で防護しながら薄暗い機内でハンモック状の座席に座ってウトウトしていると硫黄島の空港に着陸です。
今から25年以上前の硫黄島は、食料用に飼育している七面鳥が歩き回り、殺風景ではあるが、海と空が抜けるような明るい南の島というのが第一印象です。硫黄島には、海上自衛隊の航空基地と米国のコーストガードが所在しています。

硫黄島は、日本から遥か離れた南に位置する島のため、半袖でも汗が出るような気候です。
更に、硫黄島という名前からもわかるように地熱が尋常ではない温度で、滑走路の近くのマンホールの様な所を地中に5メートルほど降りると何人か座れるスペースがあり、なんとサウナとして使用されているほどです。

そして、硫黄島は、太平洋戦争史に残る日米の激戦地です。名将栗林中将が待ち構える硫黄島への上陸時、米軍の司令官が多くの犠牲が出るだろうと考えていましたが、予想を遥かに超える米軍の死傷者が発生しました。

東京の市ヶ谷駐屯地で教官から硫黄島戦史の教育を受け、自分達が硫黄島の守備隊指揮官の時どのような陣地配備をするか地図で考える研修の締めくくりが、硫黄島現地研修となります。

圧倒的な火力と航空優性を持っている米軍に対抗するには、敵のいる側に陣地を地形の凹凸の窪みの見えないところや敵と反対側の斜面に陣地をとる「反射面陣地」方式を取ると、見つからず撃たれず生き残ることができます。この考え方で硫黄島の陣地配備を地図に展開すると日本軍の配備に似ている形になり、現代でも使用できる防御陣地を作り上げていたことがわかります。

着陸後、海上自衛隊のマイクロバスが待っていて、早速、硫黄島全体を確認できる制高点、すり鉢山に向かいます。車中、道路沿いに数名が作業している姿が見えると「遺骨収集をしています」と説明してくれます。

すり鉢山から米軍が着上陸した海岸線を確認できます。海岸に茶色い鉄の塊があるので、眼鏡(双眼鏡)を使い海岸を見ると、戦地だったことを物語るように、日本軍の砲撃を受けて破壊され座礁した、上陸時に使用した艦艇の船首が、天を向いて砂浜に埋まっているのが確認できます。

すり鉢山は海岸への視射界が良好なため、山の形状が変わるほど米軍の砲撃を受けたところです。

硫黄島

 

土に半分埋まっている緑色の2本のサイダー瓶

 

待避壕や射撃陣地をつなぐ長く深い坑道が続く陣地地帯に入る前、教官が「まだ、日本軍が使用した物がいたるところに残っているが、触ったり、特に記念に持って帰るようなことを絶対しないように」と注意を受けました。

ただでさえ、真夏の気候で熱いのが、坑道に入った途端、地熱で一気に汗が噴き出してきます。この過酷な状態で艦砲射撃に1カ月近く耐え続けていた兵士の心は、灼熱の坑道から出て早く戦いたい、早く上陸して来いという一点に集中していたのではないかと感じました。島嶼作戦に生きて帰るということはないので、来たら大変な目に会わせてやる、ただでは死なないと思っていたのではないかと、奥へ入れば入るほど、どんどん暑くなる坑道を少しかがみながら歩きつつ考えました。

栗林中将は、米軍を見つけてすぐに射撃をすると火器の配置から陣地のある場所を推定され、反射面陣地として怪しいところは全て砲撃を受け、戦う前に潰されてしまうため、戦いにはやる兵士を抑えて米軍を引きつけて引きつけて、有効な艦砲射撃ができない混戦状態にしてから火力を発揮しました。

坑道を進むと、すぐに多くの残骸を見ることができます。茶色い土の上に錆びて穴のあいている飯盒が転がっていたり、サイダーの瓶をスコールで集めた水入れに使用したものであろう緑の透明な瓶が2本つい最近まで使っていたように坑道の端にあります。「触ったり持って帰ると憑いてきますから止めましょう」という言葉を思い出します。

何か触り易い感じで色々な物があるような感じです。

灼熱で水がない硫黄島のサンゴ礁の固い地形をよくぞここまで掘ったなと感心しつつ、基地に戻ると料理長が「皆さんのために今夜は七面鳥の料理を準備しました」と美味しい料理を味わったのを覚えています。

 

 

25年後の硫黄島

 

キーンと薄暗い機内で25年前に行った硫黄島の事を考えていると、「間もなく硫黄島へ到着します」と機内放送で目が覚めました。今回は、実質硫黄島には4時間しかいない日帰り研修です。

真夏に行ったせいか、尋常ではない暑さです。「当時よりも地熱で坑道は熱くなっています」と説明があり、斜面を登りながらすり鉢山に向かう時、太い茎が8メートル近く伸びているサボテンの様なものが目に付きます。

海上自衛隊の人が、「あの長くサボテンの様な所から伸びている茎は花なんです。リュウゼツラン(龍舌蘭)といい、テキーラの原料になるサボテンです」と教えてくれます。

硫黄島

 

 

米軍艦艇の舳先が砂浜から突き出ていない海岸

 

この日も空と海が素晴らしい初めて来た時の天気と同じだなと思い、すり鉢山へ登って、砂浜から突き出ていた船を確認しようとしても船が何処にもありません。

「船はどこかへ運んだのですか」と聞くと、「いつ頃の話ですか」と返ってくるので、「25年前です」と答えると、
「あの当時とは、海岸が徐々に変化していき船が砂の中へ埋もれてしまうほど海岸線が変わっています」と教えてくれました。

 

 

緑色の2本のサイダー瓶

 

坑道の入口に着いて中へ入る前、「中のものを触ったり、持って帰るようなことは絶対にしないで下さい。霊が憑いていきます」と注意事項がありました。坑道の中は、確かに25年前よりも気温が高いというか灼熱化が進んでいてこれ以上熱いと入るのは難しいなという感じです。

錆びた飯盒があり、もうすぐだなと思うと、持っていってほしいという感じで緑色の透明なサイダー瓶が2本あの時と同じ状態であります。自然に手を合わせてしまいました。

 

 

海上自衛隊の人から、「硫黄島からの手紙」の映画を作成する時、クリント・イーストウッドが来て案内したような話を聞きながら、「質問がありますか」と言うので、「七面鳥は今でも食べれますか」と聞くと「病気で全滅してもう七面鳥はいません」と名物だった七面鳥は姿を消していました。

 

 

満月の夜の白い世界

 

七月の満月の夜の一夜だけ咲く「月下美人」の花が、硫黄島にあることを続けて話してくれました。月下美人は満月の夜の一晩だけ白い花を咲かせる日本人好みの花です。この花を1回見るとその素晴らしさと一夜限りの美しさに感動してしまい毎年見たくなると、この日一番眼を輝かして話しています。

今週が満月なのでそろそろ月下美人が咲きますという話を聞いて、硫黄島を後にしました。

C-1は巡航高度に入るまで冷房が入らないので、灼熱の真下硫黄島でタオルハンカチが効かないほど汗をかいたままで、入間基地に到着して現地解散です。

現地たったの4時間滞在、往復5時間近く空の旅という日帰りから帰り、基礎代謝を計れる体重計に乗ると3キロ以上体重が落ち、基礎代謝は28歳並みと表示され、あらためて過酷なところだなと感じる硫黄島です。

 

 

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追記

硫黄島戦記として名作と思うのがビル・D・ロス著「硫黄島―勝者なき死闘」です。最後の一兵まで硫黄島を死守せんとする2万2千人の日本軍と、硫黄島を奪取しようとする7万5千人の米軍との戦史に残る36日間の戦闘を記録したものです。激しい戦闘です。

硫黄島―勝者なき死闘

 

 

 

 

 

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本書は、実戦で強烈な威力を発揮する「スカウト」の戦闘技術に触れた瞬間、根底から意識が変わってしまった隊員たちが、戦場から生き残って帰還するために、寸暇を惜しんで戦闘技術の向上へのめりこんでいく姿を記録したものです。

そして願わくば、ミリタリー関係者だけでなく、日々、現実社会という厳しい戦いの場に生きるビジネスパーソンやこれから社会へ出て行く若い人たちに、読んでいただきたいと思っています。スカウトという生き残り術を身につけることは、必ず日々の生活に役立つと私は信じています。

 

 

 

40連隊に戦闘技術の負けはない: どうすれば強くなれるのか!永田市郎と求めた世界標準
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に登場する隊員たちが訓練を通じ成長していく姿は、若い人達に限らず、人材育成全般にも多くのヒントがあると思います。
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