米国の戦争映画を見ていると、「もうこれで諦めてしまうのか!」、「そんなことでは実戦では戦い抜けないぞ‼」と、いかつい身体つきの軍曹が兵士に発破をかけて、訓練を指導している場面を目にします。
「こうやるんだ」と手本を見せれば、恐るべき戦闘技術を見せ、自らの背中でぐいぐいチームを引っ張ります。
いざ戦闘となれば、彼らは圧倒的な信頼感のある男として部隊を勝利に導き、新兵を強い兵士へと作り上げていく。
このような下士官が、みなさんがもっている「鬼軍曹」のイメージではないでしょうか。強く、厳しく、怖いが生き残る術を教えてくれ、ごく稀に優しさを覗かせてくれる
そんな「鬼軍曹」は、戦闘能力が高く、強い絆で結ばれているチームには欠かせない人材です。
陸上自衛隊にとっても「軍曹」、つまり「2曹(2等陸曹)」は部隊の要であり、キーパーソンです。ここでは、私の考えるあるべき「鬼軍曹」の姿を述べていきたいと思います。
1980年前半、3尉なり立ての 私は小隊長として初めて普通科連隊に赴任しました。
その時には、誰もが思い浮かべるようなタイプの「鬼軍曹」はすでに部隊にはいなく、もっとスマートなタイプの人物が「鬼軍曹」になっていたように思います。
防衛大学校を卒業した私は、福岡県の幹部候補生学校で6カ月間、幹部の基礎教育を受けた後、初の任地となる宇治市に所在する第45普通科連隊(現在は廃止)へ異動となりました。
着任後、すぐに訓練検閲があり、まだ幹部候補生の私は、1小隊の2班長となり、5名の部下を初めて指揮することになったのです。
小隊長の女房役である共に、小隊のまとめ役でもあるのが「小隊陸曹」です。私の小隊ではその任務を2等陸曹 が勤めており、彼が部隊や隊員のことを全く知らない私を優しく、時には、強い口調で指導してくれました。
小隊陸曹は時々私を家に招いてくれては、部隊とはどういうところか、隊員はどう扱えばいいのか、奥様の手料理とうまい酒を飲みながら教えてくれたものです。
「今日の朝礼後、候補生(私)が2士(新隊員)に言った内容は伝わっていないよ。もっと隊員との間合いを近くして接しないとダメだよ」
と、早く一人前になるように日々育ててくれました。
第45普通科連隊の中隊は、幹部と上級陸曹の曹長・1曹が少なかったため、4人の小隊長のうち、1人は2曹がついている状況でした。
当時の2曹は、幹部の職務で運用されるほど信頼されていたのです。
小隊陸曹も本来ならば曹長や一等陸曹が任命されるポジションです。そこにもベテランの2曹が配置され、班長も若い2曹が配置され、まさに「軍曹」がグイグイ部隊を引っ張っていたのです。
自衛隊の生活自体わかっていないヒヨッコの私は、階級的には3尉でしたが、実力としては3曹なりたて程度だったと思います。
そのため、多くの2曹やベテランの3曹に教えてもらうことで、彼らの背中を追いかけて力を付けていった毎日でした。
この続きは、拙著『自衛隊は市街戦を戦えるか (新潮新書) 新書 』(2020/8/19)でお楽しみ下さい。これからの陸上自衛隊の戦闘技術の中核となる中級陸曹、中級陸曹が動きやすい環境を作る上級陸曹について提言のところでまとめました。
自衛隊は市街戦を戦えるか (新潮新書) 新書 – 2020/8/19
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隊運用の幹部がいないのも困るが仕事のベテランの陸曹もなければ困る。
そんなところですね。
幹部は連隊長を中心とする将校団ですし武官ですからね。
たしかに初級将校はなにかと下士官にたよらざるを得ないでしょうが、
初級将校が下士官よりになると状況判断に乏しくなるきらいも心配される。
うね様
コメントありがとうございます。
その通りです。
下士官が、このような中隊勤務ができる中隊を作り上げたいと思う時、
幹部と下士官がつながります。幹部が環境を作り上げなければならないと思います。