20年後、40年後にも生きる陸曹の言葉
私は、防衛大学校を卒業に引き続き、九州福岡県久留米にある幹部候補生学校へ入校し幹部の基礎的な教育を6カ月受けたのち、幹部候補生として各部隊に配置されました。
今から40年以上前のことです。
自衛隊のこと、部隊勤務についても全く知識のない状態で3か月部隊で過ごします。
この時はまだ幹部ではなく、階級も陸曹長のせいか、陸曹(下士官)から気軽に声をかけられ、一緒に飲みに行ったりできる間柄で過ごせる時期です。
その後、幹部初級課程(BOC)へ入校し小隊長としての教育と訓練を8か月みっちり受けます。
部隊へ帰ると小隊長として幹部職につき、階級も3尉(少尉)になります。
最初は陸曹も候補生の時と同じように接してくれていますが、半年もすると幹部と下士官の関係になり、接し方が変わっていきます。
この時、何となく寂しさを感じながら、しっかりしなければという意識が芽生えていきます。
幹部候補生の時、私は若い陸曹と部隊内の営内陸曹室で衣食を共にしていました。
この時、何もわかっていない候補生の私へ自衛隊の基本的な生活や訓練の仕方から始まり、仲間として色々な話をしてくれました。
週末になると、営外陸曹(結婚して部隊の外に住んでいる陸曹)が自宅に招かれ、夕食をご馳走して頂きました。
その時、陸曹の思い、どのような時やる気が出るのか、本当にやりたい訓練、どのような部隊であってほしいかなど、沢山話をしてくれました。
まだ、幹部にもなっていない自分にこのような話をしても何もできないと言っても、「聞いてもらえればいいんですよ」と答える陸曹の多くは2曹(軍曹)でした。
その話は、20年後の連隊長時代、40年後の二見龍の執筆活動に大きな影響を与えることになる珠玉の話だったのです。